- I-1 羊蹄山
- I-2 ニセコ山系
- I-3 湧水
- I-4 尻別川
- I-5 自然生態系
- I-6 温泉盛衰
- I-7 スキー隆盛
- I-8 アウトドアスポーツのメッカ
- I-9 農と食
- I-10 国際リゾート化
- I-11 ホスピタリティ
- II-1 自然環境と生態系
- II-2 スキー場
- II-3 アウトドアスポーツ
- II-4 温泉
- II-5 レク施設
- II-6 体験施設
- II-7 リゾート
- II-8 食と農業
- II-9 農業以外の産業
- II-10 郷土の人物
- II-11 文学
- II-12 文化
- II-13 歴史全般
- II-14 交通
- II-15 町村の概要
- II-16 まつり・イベント
- II-17 観光情報センター
- III-2 参考文献
- III-3 索引
基礎講座で使用しているレジュメを公開します
事務局より
基礎講座は、既に、真狩会場(11/12)、倶知安高校会場(11/13)、ニセコ会場(11/13)、喜茂別会場(11/14)で行われました。各会場とも大勢のみなさまがご参加なさいました。この基礎講座において使用したレジュメを、公開いたします。このレジュメは、「テキストブック」の主に第1部を対象に作成したもので、概ね検定試験の出題範囲を示したものです。みなさまの受験勉強の参考になれば幸いです。
なお、基礎講座に参加されたみなさまから、レジュメの誤りのご指摘をいただきました。その分については訂正してありますが、さらにお気づきの点があればご教示いただきますよう、重ねてお願い申し上げます。
基礎講座:1 講義レジュメ/羊蹄山麓観光資源ミニストーリー
2007.11/
※ 検定試験問題のイメージ(模擬問題)
次の文章の空欄に当てはまる内容を、下記の選択肢の中からひとつだけ選びなさい。
《例題》
「羊蹄山(ようていざん)」は、「後方羊蹄山( A )」と記されることもあります。この「後方羊蹄」の名を始めて記した史書は、『( B )』です。この中に、659(斉明5)年、( C )が百八十艘の軍船を率いて北征した際、二人の蝦夷から「後方羊蹄をもって政所とすべし」と進言があり、そこに群領を置いて帰った、と記されています。「後方羊蹄」の地名は、この後、( D )など多くの史家や探検家たちの想像力をかきたててきました。
【問1】Aは、なんと読みますか。正しい読み方をひとつだけ選んでください。★
1)こうほうようていざん 2)しりべしようていざん 3)しりべしやま 4)しりべつやま
【問2】Bは、何と言う文献ですか。正しい文献をひとつだけ選んでください。
1)古事記 2)日本書紀 3)後方羊蹄日誌 4)蝦夷志
【問3】Cは、なんという人物ですか。この人にちなんだ地名も残されています。ひとつだけ選んでください。★
1)坂上田村麻呂 2)阿倍比羅夫 3)源頼朝 4)安部貞任
【問4】Dに該当する人物のなかで、この地を訪れていない人物を一人だけ選んでください。「蝦夷志」の著者です。
1)松浦武四郎 2)新井白石 3)最上徳内 4)菅江真澄
※★印の問は、特に重要です。
※→正解は、『ぐるっと羊蹄まちしるべ』14ページにあります。
Ⅰ-1:羊蹄山
(1)「羊蹄山」山名の起源(★教本P14)
1)後方羊蹄山(しりべしやま)の名称の起源
・(模擬問題)参照
※地名の起源にまつわる史実とロマン
(2)「羊蹄山」山名の変遷(★教本P15)・・・図版参照
1)羊蹄山と尻別岳の関係
・「尻別(しりべつ)川」のそばにある山と「後方羊蹄(しりべし)」にある山の関係、富士山への憧憬
2)アイヌ語による名称
・羊蹄山=マチネシリ(女である山)、マッカリヌプリ(M20頃から公文書にも)
・尻別岳=ピンネシリ(男である山)~アイヌ文化の例
3)「後方羊蹄山(蝦夷富士)」から「羊蹄山(蝦夷富士)」へ
・昭和22年倶知安町の要望→昭和44年の地形図書き換え
※地名定着の経緯
(3)「蝦夷富士登山会」が推し進めた山岳観光(★教本P18)
1)M37年の出来事
・小樽から倶知安まで北海道鉄道が開通
・駅名改称~「大曲」の地名を「比羅夫」に変えて駅名へ
・蝦夷富士登山会発足と倶知安コース登山口開削
※仰ぎ見る山(羊蹄山)への登山観光が、この地域の観光の曙
(4)羊蹄山は二重構造のコニーデ型火山(★教本P16)・・・図版参照
1)「古羊蹄山」と「本体火山」の二重構造
・山頂は5つの町村、登山ルートは4本、ピークは3つ
・三期に及ぶ噴火→曲点、3つの噴火口、寄生火山(半月湖など)
・湧水の偏りの理由
※7つの山容・山岳景観の多様性の理由は噴火の歴史に
(5)レルヒ中佐のスキー登山(★教本P19)
1)オーストリア軍人テオドール・フォン・レルヒ中佐
・M45年、羊蹄山にスキー登山
・レルヒ→第7師団若手将校→北大(農科大学)学生スキー部→青山温泉合宿
・蝦夷富士登山会、小樽新聞社、一本杖スキー
・北海道スキー登山の黄金時代、百名山
※スキー観光のきっかけは羊蹄山から
Ⅰ-2:ニセコ山系
(6)「ニセコ」の名称にまつわる歴史の謎(★教本P20-21)
1)ニセコアンヌプリは無名の山だった
・「ニセコ」は「ニセコアンヌプリ」の略称
・硫黄山と総称~イワオヌプリ、ニセコアンヌプリ、チセヌプリ
・幕末から硫黄採掘現場~1804年に最古の記録、M6年にライマンが調査、M13永年社による経営以降、三井物産など転々と経営委譲、S12閉山
2)“無名”だったニセコアンヌプリが歴史の表舞台に
・M24年頃から地図に名称登場
・M30年 山田温泉開業~ニセコ山系の新たな産業起こしの嚆矢
・M37年 青山温泉開業
・M37年 鉄道開通~温泉開発への関心により、ニセコの新たな経済開発へ
※硫黄採掘から温泉とスキーへの転換で、「ニセコアンヌプリ」が表舞台に登場
(7)温泉とスキーが創った「ニセコ」ブランド(★教本P22)
1)温泉の開発とスキーの結びつき
・M30年 山田温泉開業~スキー場ゲレンデとの融合を先駆的に示した
・M37年 青山温泉開業→北大スキー部の合宿、(小樽高商スキー部は宮川温泉)
・S 3年 スイスのサンモリッツ開催の冬季オリンピックに日本選手初参加
秩父宮さまが青山温泉不老閣に宿泊してスキー登山
※「極東のサンモリッツ」として「ニセコ」がブランド化←小樽新聞
Ⅰ-3:湧水
(8)羊蹄山麓名水のメカニズム(★教本P24-25)・・・図版参照
1)羊蹄山に名水が多いわけ
・標高250m前後の溶岩(安山岩)と粘土層の境目付近で湧水
~山麓全体(周囲)で17箇所、30万トン/日
・羊蹄山の二重構造による湧水量の不均衡
~南東半分の6箇所の湧水で70%以上
・湧水量の違いだけでなく水質も違う
~南東部:大量の地下水→速い流下速度→主要成分の濃度低い河川水型
~北西部:少量の地下水→遅い流下速度→主要成分の濃度高い地下水型
・水が美味しい理由
~地下水の地中ろ過+カルシウム、マグネシウム等ミネラル成分の溶け込み
~水温6.8度でほぼ一定
・水源としている町村=京極町、真狩村、倶知安町、ニセコ町、喜茂別町
・京極町「名水きょうごく」、真狩村「麗水」など
※羊蹄山の形成史が湧水の分布と観光・水産業の背景
Ⅰ-4:尻別川
(9)松浦武四郎による尻別川探索(★教本P26-28)
1)函館奉行所蝦夷地御用雇としての蝦夷地踏査の記録と想い
・安政3-5年の踏査→「丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌」「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌」
→幕府は公開禁止→安政6年「後方羊蹄日誌(しりべしにっし)」
・羊蹄山登山に関する記述(「後方羊蹄日誌」)はフィクション
・安政3年函館奉行所に意見書(開拓構想)
~羊蹄山を蝦夷地の中央に/5つの道路開削/後方羊蹄神社/中央政庁など
2)安政4年の2度にわたる尻別川探索
・春は磯谷河口から上流に向けて→途中で諦める
・夏は虻田から喜茂別の相川地区に入り上流鈴川地区まで、その後は磯谷まで
・当時の尻別川における漁業権の争い
・中流域の激流ポイント(ブイラ)により行き来が妨げられた尻別川
3)安政5年の尻別川探索
・再び虻田から喜茂別、そして喜茂別川沿い中山峠を経て石狩へ
→本願寺道路のもととなる原ルート
※尻別川流域内外の交通・物流ネットワーク形成に結びついた松浦武四郎の探索
(10)尻別川流域の多様な生活圏と川利用のルールづくり(★教本P31-32)
1)流域の上流から河口までの身上書
・流路延長129km、流域面積1,640km2、流域自治体は9自治体(伊達市、喜茂別町、京極町、倶知安町、ニセコ町、蘭越町、真狩村、留寿都村、豊浦町)
・主要支流:喜茂別川、ペーペナイ川、クトサン川、真狩川、目名川、など
・流域における主要産業は農業(米作地帯、羊蹄山南山麓の畑作地帯、北山麓の畑作地帯)で、主要作物はコメ、ジャガイモ、ユリ根、アスパラガス、その他
・河川利用施設:水力発電所6箇所(北海道電力、新王子製紙)に魚道
・内水面漁業(ヤツメウナギ、アユなど)
・ラフティング、カヌーなどのウオータースポーツのメッカ
2)川利用のルールづくり
・多様な河川の利用形態や価値観、利害の間に対立
・相互の議論の中から川利用のルールづくりがNPO主導でおこなわれた
~「しりべつ川の約束」(2000)、「みんなでつくろう川のルール」(2003)
・実効性を担保するために流域6町村が広域で条例を制定
→「尻別川統一条例」(2006)
※流域自治、流域連携のモデル
Ⅰ-9:農と食
(11)ジャガイモの多様化とその背景(★教本P58-60)
1)「男爵」の普及と「紅丸」の誕生
・明治初期、開拓史がアメリカから導入した多用な品種
~根室紫(屯田薯)、スノーフレーク(雪片)、グリーンマウンテン(蝦夷錦)他
・大正末期に、男爵薯、メークイン、金時薯など
・原産地アメリカの男爵薯が山麓に普及、メークインと並び北海道の二大品種に
・昭和13年に留寿都村で「紅丸」誕生
~北海道農事試験場圃場で人工交配により誕生、留寿都村の農家による増殖
2)シストセンチュウとの戦いと抵抗性品種の開発
・昭和47年、日本で始めてジャガイモシストセンチュウが羊蹄山麓で発生
~シストセンチュウは、南米ペルーで発生しヨーロッパに伝わり世界中に蔓延したジャガイモの根に寄生する害虫/ゴールデン・ネマトーダ
・昭和35年頃ペルーより輸入されたグアノ(海鳥糞)肥料に混入し伝播
・農薬防除よりも、むしろ適正な輪作体系確立と抵抗性品種の栽培、営農機械の洗浄、土壌および植物検査の徹底が不可欠で農家の自衛策が基本
→①輪作体系の徹底(3~4輪作への移行、中には5輪作の農家も)
②抵抗性品種の開発により、ツニカ、キタアカリなどが普及
・倶知安、京極は「男爵薯」、留寿都は「キタアカリ」、真狩・ニセコは多品種
※多様な品種の普及の陰に、病害虫などとの戦いや農地特性などの背景がある
Ⅰ-10:国祭リゾート化
(12)ひらふ地区の国際リゾート開発と景観問題(★教本P64-67)
1)オーストラリア人スキーヤーはなぜ急増したか
・ひらふ地区:1997年から2004年で3,300人から14,650人(延べ人数)に急増
・平均10.7泊が大きな特徴
・尻別川の夏のラフティング事業に、オーストラリア人事業化が進出(1995年~)
→冬の雪質のすばらしさを本国(オーストラリア)に口コミ
・ひらふ地区国際化の5つの要因(JETRO)
① 自然資源のすばらしさ、特に“最高のパウダースノー”
② 自然資源を楽しむアクティビティで新しいビジネスモデル
③ オーストラリア人のリゾート型ライフスタイル
④ アメリカの9.11テロ以降のスキー・ディスティネーション切り替え
⑤ オーストラリア国内のエネルギー産業の活況
2)ひらふ地区のリゾート開発と景観問題
・ひらふ地域では民間主導で開発が進められ、土地利用に関して暗黙のルール
・オーストラリア資本によるデベロッパーによるコンドミニアム建設急増
・都市計画などによる規制が存在しない地区
・土地利用問題や景観問題の発生→行政にも地域にも大きな危機感が生じた
・ひらふ地域住民、観光事業者、開発業者、倶知安町役場による円卓会議開催
→利害と立場を調整しながら、規制に関わる基準を定めた「景観要綱」制定
・地域住民自らが地域内の合意形成をはかり、「景観協定」締結
・今後は、規制をさらに強化するための仕組みづくりに
※地域と行政そして関連事業者の協働によるリゾートづくりの経緯と課題
Ⅰ-11:ホスピタリティ
(13)観光ガイドとしてのもてなしの心と技(★教本P68-69)
1)プログラムやストーリーを自ら作り、相手に合わせて変化させて伝える
2)その場限りの情報伝達だけでなく、相手の自己実現のためのアドバイスも
3)目の前の姿の背景である人の営みや自然と町の歴史についても関心を引き出す
4)地域が好きだからというだけではない、「何のためにガイドするのか」を自問
5)相手と一緒に好きな地域をガイドできることへの感謝の心
6)社会的規範であるマナーやプライバシー守秘など
7)言語コミュニケーション以上に非言語コミュニケーションを重視
8)安全や環境保全に関する強いリーダーシップの発揮と人間関係の調整力
9)節度ある親密性で信頼を受ける接遇を
※相手の自己実現を支えることで自分の喜びを得ることが基本
(14)自然や文化を尊重する(★教本P70-72)
1)自然も文化も変化し続けるものであることを知る
2)自然や文化を科学的に理解するだけでなく、感覚的にアプローチする感受性も
3)人為的な影響はなるべく少なくし、ミスユース(誤利用)やオーバーユース(過剰利用)を防ぐ
4)トイレ問題
5)リスクマネジメント・・・「ハインリッヒの法則」
6)ニセコローカルルール
7)ごみの持ち帰りなど、ルールとエチケット
※人間社会は自然のことをまだまだ良くわかっていないという自覚から
事務局 日時: 2007年11月17日 20:19