農業環境と歴史

羊蹄山麓エリアの地質と気候

後志エリアは、春から夏にかけて温暖で晴天が多く、冬は北西の季節風の影響を行けて降雪量が多い地域。この後志エリアに属する羊蹄山麓は、道内屈指の豪雪地帯となっています。

北海道の平均気温は5~10℃で、北部と東部では低く、南部では高温になります、1961(昭和36)年~1990(平成2)年の30年間の平均値は約8℃。羊蹄山麓エリアはそれより2℃ほど低く、厳寒期には-20℃~-30℃になることもありますが、農繁期の夏季には30℃を超えることもあります。降水量は春に比較的少なく、7月~11月は多い傾向。年間の総降水量は1,000mm~1,200mmで、これは四国の1/2、東京の2/3ほどの量です。年間の日照時間は九州や関東地方に比べて長くなっています。10月下旬に初雪が降り、11月下旬から12月上旬に降雪期を迎え、3月に入ると雪がとけ出し、春がやってきます。倶知安町における1987(昭和62)年以降の寒候期最深積雪量は、最低が1989(平成元)年の126cmで、最高は1988(昭和63)年の248cmとなっています。

土壌・土性の分布状況は厳密には各町村で異なりますが、母材は主に火成岩や水成岩で、土性は粘土質です。


農業の歴史

未開の倶知安原野に入植した人たちは、木をきって太陽の光が通るようになると、その土地に種を蒔きました。ジャガイモ、大豆、小豆は木の株の間に穴を掘って種を蒔くツボ蒔き、ナタネやソバは、雑草や笹を焼いた後に種を蒔くバラ蒔き、麦はうねを作ってまくウネ蒔き。食料自給のための作付けでした。

明治20年代後半になると開墾が急速に進み、ナタネ、大豆、菜豆(金時、虎豆、ウズラ、大福、大手芒などの豆の総称)の作つけ面積が上昇。ナタネは原野を焼き払った後の土地にバラ蒔きするだけでよかった上に、春には若芽を食用として利用でき、種子は油の原料として需要が高かったので、どこの農家でも作っていたといっていいほど。また、大豆は連作が可能で、酸性への抵抗力が強く、品質もよかったので、多くの農家が栽培していました。菜豆ははじめ品質で仁木産におよばなかったものも、倶知安原野の土質が円熟すると、主産地としても声価を高めました。明治40年ころから作つけ面積に変化が表れ、食用の裸麦とエン麦が急速に増加。当時優良種子とされていたトースホースやナイヤガラではなく、スウェーデンから取り寄せた改良エン麦「リゴウ」を使用した結果、優良品として推奨品種に指定され、全道に普及。第一次世界大戦(1914~1918年)が起こると、エンドウ、菜豆、デンプンが高騰。大正10年代から昭和10年代にかけてその景気が沈静化すると、水田への転換が盛んになって行きました。


食の移り変わり

大正期は、米作農家でさえ、米を十分に食べることができない時代。凶作、大凶作には大根のくずや干葉(ひば)を煮て食べたり、ソバ殻をひいて菜葉の干し葉と混ぜて煮て食べたりして飢えをしのいだ者もいました。主食が米となるのは、昭和30年代のこと。ただし、米が食べられたのは正月かお盆、氏神の祭りの日くらいのものでした。大正期から昭和20年代までの主食はイナキビの飯、麦飯、イモ飯、豆飯、アワ飯など。これらのご飯は米か麦か大豆などとの混合食。カボチャ、イナキビ、小豆を一緒に炊いたものやカボチャやイモだけの食事もありました。

農村への洋食の普及は1926(大正15)年と1927(昭和2)年、1931(昭和6)年、1932(昭和7)年の凶作後。空腹に耐えた経験から農村の食生活の改善や自給自足体制の確立が叫ばれ、料理講習会が行われ始めてからのことでした。牛が飼育され、牛乳、バターが出回り、米麦や汁、漬け物だけの食習慣から洋食化された食生活へと移行。パンが出現し、アンパン、コロッケ、ライスカレー、ハヤシライス、トンカツなどの料理が定着。嗜好品にはケーキ、ビスケット、チョコレートなどの洋菓子、コーヒー、ココア、ラムネ、サイダー、洋酒、ビールなどがありましたが、一般化したのは勤労者や知識層に利用されるようになった牛乳、コーヒー、ビールでした。刻み煙草に代ってゴールデンバットなどの紙巻煙草も普及。グリコ、新高、明治、フルヤのキャラメルやアメ玉も子供たちの人気を集めました。1938(昭和13)年には日中戦争遂行のため軍需品が最優先されたことで、米穀類や小麦粉が配給規制の対象になり、ジャガイモやデンプン、カボチャだけの日々。日中戦争、太平洋戦争、第二次世界大戦と辛い時期を乗り越えた戦後。生活革新の進行によって、タンパク質原料としての肉、牛乳、卵の摂取が増え、ジンギスカンが普及。果物の需要が増加。酒類は日本酒からビールへ、飲料は緑茶からコーヒー、紅茶、ジュースへ、菓子類は和菓子から洋菓子へと、調理法も西洋料理や中華料理へと人気が移って行きました。

最近は海外からの新顔の野菜が続々と登場。O-157などの食中毒の発生や毒物混入事件などの記憶も新しいところ。食の安全を確保するために生産者、消費者とも食生活を大切にする姿勢が求められています。

羊蹄山の初雪

真狩村の村史によると、1926(大正15)年から1952(昭和27)年の27年間の村の気象統計から、羊蹄山の初雪が最も早かったのは、19 41(昭和16)年8月15日、次いで1926(大正15)年8月2 9日の凶作の年。

最も遅かったのは1951(昭和26)年10月23日、次いで1950(昭和2 5)年10月13日でした。冬期の豪雪が農業に及ぼす影響は大きく、特に主幹作物であるジャガイモの生育に障害を与えることも。大正中期からは土をまいて融雪を早める人工融雪が行われています。

日時: 2007年10月25日 09:17