国際化が牽引する滞在型リゾートの形成

急激に進む観光の国際化

ニセコ地域におけるオーストラリア人スキー客の急増は、最近大きな話題となっています。その多くが滞在する倶知安町ヒラフ地区では、オーストラリア人スキー客が最近の5年間(2002~2006年)で、4,477人から70,335人へと急増しています。(いずれも支庁管内の宿泊述数)台湾や韓国、香港などアジアからの観光客が平均1泊であるのと比べると、オーストラリア人スキー客は平均して10.7泊程度連泊しますので、延宿泊数では圧倒的な割合を占めています。スキーシーズンのヒラフ地区は、ゲレンデも宿泊施設もオーストラリア人ばかりが目に付くほどで、あたかもオーストラリア人街に変貌したかのようです。倶知安町ヒラフ地区における急激な国際化には、どのような背景と経緯があったのでしょうか。

オーストラリア人事業家が牽引

オーストラリア人とニセコ地域の関わりは、1995年ごろから始まります。オーストラリア人が尻別川でラフティング事業に進出したことが、きっかけといわれています。ラフティング事業はいまやニセコ地域の夏のアウトドア観光を支える中心的な事業に成長し、この10年間で数万人規模の市場に膨れ上がりました。ラフティングなどを目的に訪れる観光客の多くは日本人ですが、川を利用した夏のレクリエーションがこれまでより多様化することに、大きく貢献したといえるでしょう。ニセコ地域における新たな夏型アウトドア事業がオーストラリア人事業家によって牽引されたことは、その後オーストラリア人スキー客を中心とする冬型アウトドアリゾート事業の展開にも、大きな役割を果たすことになります。

オーストラリア人スキーヤーがニセコ地区に関心を持ち始めたきっかけは、“豪州で旅行業を営むJohn Morrel(ジョン・モレル)氏が1990年代半ば頃から数名単位のスキー客をニセコのスキー場に連れてきたのが源流”で、ニセコ山系の“雪質の素晴らしさが口コミで伝わり、この顧客層は200~300名ほどの固定客に育っていった”(『ニセコ地域における外国人の観光と投資状況に関する報告書』2006年ジェトロ)と言われています。

ニセコ地域の自然資源の素晴らしさが国際化の背景

倶知安町ヒラフ地区の国際化の要因は、一体なんだったのでしょうか。ジェトロがまとめた報告書(上掲書)によると、大きく5つの要因が考えられます。

最初に挙げられるのは、ニセコ地域の自然資源の素晴らしさです。“世界で最高のパウダースノー”に恵まれた冬のニセコ山系、ラフティングなどアウトドアアクティビティのフィールドとなった尻別川流域。いずれも、国内外からの訪問者誘致の最大要因であったことは明白です。

次に挙げられるのは、そのような自然資源を楽しむためのアクティビティが、オーストラリアからこの地に移住した起業家によってパイオニア的に担われたということです。日本人実業化には発想できなかった新たなビジネスモデルであった、ということです。

3つめは、オーストラリアからのスキー客が、平均で10.7泊程度連泊するリゾート型のライフスタイルを持っていたということです。4つめは、2001年9月11日のアメリカにおける同時多発テロ事件をきっかけに、オーストラリアから欧米へのスキー・ディスティネーションが不安視され、結果的にニセコ地域が代替地として選択されるようになったという背景もあります。

最後の要因は、オーストラリアの国内事情です。この10年間にわたるオーストラリア国内のエネルギー産業に端を発する好景気や豪州ドルのレートの高騰も大きな要因になったと考えられます。

これら多くの要因は、地域の主体性による内発的なものというより、オーストラリア人の着眼による外発的なものと言わざるを得ないことが大きな特徴です。

日時: 2007年10月25日 09:20