ルスツリゾート

留寿都村の観光は、ルスツリゾートを中軸に行なわれてきました。

1988年(昭和63年)以降、道内のリゾート計画や着工が盛んとなり、1990年(平成2年)にも新しい計画が相次ぎ、ゴルフ場やホテル・別荘・レジャーセンター・クラブハウスなどの建設が進みました。中でも、ゴルフ場の開発は著しいものがあり、道は、この開発について、規制要綱を示すに至りました。リゾート開発の指針は、市町村ごとに基本構想をつくり、企業まかせにしないことが特徴であります。しかし、これら乱開発行為を伴う事業については、それを懸念し、自然を守るための住民の動きも活発になりました。

観光は、今後も人々の多様なニーズに応え、地域の特性と資源と地場産業を生かした様々な展開が期待されますが、これを支える交通アクセスの改善、良好な環境の創出、下水道の整備といった、観光関連公共施設の整備を推進するとともに観光客のニーズに対応した食事、物産やホスピタリティ、夕食後の多様な活動の場の充実など、ソフト施策の展開が求められています。

大和ルスツスキー場の開設

スキー場として札幌にも近く、国道230号線沿いにあり、洞爺湖温泉をひかえているなど、道内でも好適地として、観光開発に白羽の矢を立てたのは、大和観光開発株式会社(本社埼玉県)であり、1972年(昭和47年)12月、橇負山を中核として、スキー場をオープンしたことは、留寿都村の観光開発の先駆けとなりました。

大和ルスツスキー場が、加森観光に移譲されたのは、1981年(昭和56年)のことでした。加森観光の創立を契機に、留寿都村で観光事業を展開、道内でも数少ない通年型リゾート地「ルスツリゾート」として、道内外から多くの利用客を招き、留寿都村の知名度は全国的に高められ、さらに地域雇用の機会を拡大、地元産業との強調を図り、留寿都村の活性化につながる多大な功績を残しています。

ルスツリゾートと地域社会との関係

ルスツリゾートの成長は、地域社会に大きな貢献を果たしています。まず、リゾートでの直接雇用は、大和ルスツスキー場時代は冬期150名、夏期30名の体制で営業していました。加森観光が経営することになった以降リゾートは拡大し、冬期754名、夏期517名(いずれも1997年)の従業員を抱えるまでになっています。そのうち、約65%が地元留寿都村民で、残りは近隣市町村からの従業員です。留寿都村に雇用の場が出来、人口は1980年の2,079人から1997年の2,279人(いずれも住民基本台帳の数値)と1割弱増加しました。さらに、村民税が1980年の3,200万円から1997年には8,100万円と2.5倍へ増加しています。これは、以前から留寿都村に住む住民を臨時雇用し、農業従事者を主とする住民の所得が増加しているからと推測できます。人口面でも住民所得の面でも、ルスツリゾートの成長は留寿都村へ恩恵をもたらしたと考えられます。留寿都村の税収は、1980年度の8,400万円から1997年には4億7,500万円と5.6倍にまで増加しています。特に大きいのが固定資産税で、ルスツリゾートを中心にホテル、ペンション、マンションが新築された結果、1980年度の3,200万円から1997年度の3億5,300万円と10倍以上にまで拡大しました。こうした目に見える恩恵もあれば、目にみえない恩恵もあります。例えば、ルスツという知名度が全国的に広がりイメージアップとなったことや観光客の入り込みによる交流人口の増加が地域産業の振興につながったこと、若者の新住民が増えたことによる村の活性化などがあげられます。

ルスツリゾートは、リゾート開発のもっともうまくいった成功事例の一つであろうといえます。北方圏センターによる1989年の住民アンケート調査によれば、留寿都村の調査回答者207人のうち、知名度の向上、経済振興、雇用機会の拡大、税収の増大、人口流出に関して6~7割程度の人がルスツリゾートを積極的に評価しています。これらの意見から地域社会にも受け入れられていると考えられます。ルスツリゾート以外に観光資源があまりない留寿都村の観光客入り込み数を見てみると1988年度からのデータしかないので限定的なことしか分からないものの、1998年度の日帰り客は1988年度の50%増加、1998年度の宿泊客は1988年度の126%の増加となっています。反面、自然環境の破壊や地域住民不在の開発などへの不満も聞かれ、加森観光と地域社会の調和は完全といえず、まだまだ努力する必要があろうと思われます。加森観光の優秀な経営能力と共に、コミュニケーションはしっかり取りながらも地方自治体が過度にリゾート経営へ干渉しなかったことも成功した理由の一つではないかと考えられます。

日時: 2007年10月25日 10:17