歴史のなかの製造業

明治開拓時代から大正、昭和の高度成長期へと、マチの経済を支えてきた産業。鉱石や木や水など、豊富な資源に恵まれた産業の歴史は、地域はもちろん、国外にも大きな影響を与えました。

マッチ製軸工場(倶知安町)

1893(明治26)年7月、岩内の鈴木大吉が南1線西7号に、倶知安初の工場となる「鈴木燧軸(すいじく)製造所」を設立。鈴木燧軸製造所は、ドロの木を材料としたマッチ製軸工場で、無資本の入地者たちが生活に行き詰まり、離散する人が相次いだ時代にあって、入地者に原木を伐り出す作業と、トウキビや野菜などの農産物を提供する市場を与え、生活の基盤を作りました。軸木の原料となるドロの木は現在の豊岡を流れるプイタウシナイ川(現在の尻別第四号川)沿いに多かったことから、翌年の1894(明治27)年には、大崎亀吉、安達定吉、縫部兼次郎による「縫部燧軸所」も営業を開始。開墾によって周辺のドロの木がなくなると、鈴木燧軸製作所が廃業、次いで縫部製軸所も火災によって焼失しました。

炭酸水工場(倶知安町)

1929(昭和4)年頃、「倶知安鉱泉株式会社」によって、サイダー、シトロンの原料として利用されていた、倶知安町内峠下の炭酸水。第二次世界大戦中の会社解散と共に放棄されていましたが、1959(昭和34)年、この炭酸水の利用に情熱を燃やす「株式会社満蒙」の代表・柿原亘によって再び商品化され、店で販売するアイスキャンディや洋酒の水割り用として使用されていました。その後こつこつと販路を広げ、東京を中心に爆発的な人気に。月産18r入り一升瓶で7,000本、360cc入り瓶で2万本以上を出荷するまでになりました。

脇方鉱山(京極町)

1899(明治32)年、京極農場開拓指導者の一人、藤村徳治がアイヌの人の案内によって、ワッカタサップ川の上流で発見したのが「脇方鉱山」。褐鉄鉱の山として東洋一といわれ、1916(大正5)年に三井鉱山が採掘権を得て本格的な採掘を決め、京極線建設の動機を作りました。鉱山は脇方鉱山と呼ばれ、採掘された鉱石は、脇方線、京極線の開通によって、倶知安、岩見沢を経由して室蘭へと輸送。1933(昭和8)年から出鉱量が目立ち始め、1936(昭和11)年には年間20万トン以上に。昭和16~19年の4年間で約300万トンを生産し、室蘭鉄工所の需要の大半を満たすまでになりました。黄金期は1945(昭和20)年まで続き、以後、日鉄鉱業株式会社北海道鉱業所倶知安鉱山として増産を続けましたが、鉱量の枯渇と価格の安い輸入鉱山に押され、1969(昭和44)年、50年の操業と618万トンの生産量を歴史に記し、幕を閉じました。

羊蹄山麓周辺の鉱床

羊蹄山麓周辺の鉱床は、新第三紀層中の安山岩を下盤として、留寿都層(火山灰質砂層、浮石層、礫層)、真狩別層(火山灰、火山砂、スコリア、浮石礫)に被覆されるものが主体。鉱石は、褐色から黄褐色、暗褐色~黒褐色で、多孔質鉱または緻密鉱を主に、粘土質や粉状のものがあり、いずれも針鉄鉱。全般的に植物化石(主に白樺、笹)を多く含んでいて、鑑賞に値するものもあります。

寒別発電所(京極町)

1922(大正11)年5月に建設が始まり、大工事の末、2年後の1924(大正13)年10月に完成した「後志電気株式会社 寒別発電所」。当時の最新鋭の発電所で、出力は1,800kw。後志管内一の出力を誇りました。

羊蹄工業(京極町)

道森林組合連合会と京極町、京極町森林組合が出資し合い、1975(昭和50)年に箸工場の跡地を利用して、「羊蹄工業株式会社」を設立。医療用の舌おさえと、道内ではここだけというフラット型のつまようじの生産をスタートしました。材料は羊蹄山麓のカラマツの原木。大阪の商社を通じて、イギリス、ドイツ、アメリカ、イスラエルなどに輸出していました。

ハガスキー(京極町)

芳賀常太郎、藤衛門兄弟によって大正年間に東倶知安(現在の京極)の旭町に創業し、1926(大正15)年に札幌に出て日本の一流メーカーとなった「ハガスキー」。1933(昭和8)年には、国産スキー輸出第1号がカナダへ、1967(昭和42)年に輸出スキー実績日本一に、1969(昭和44)年にはF2メタル、グラススキーが完成し、科学技術院賞を受賞した実績を持っています。

ニセコスキー(京極町)

「ハガスキー」が札幌に出た後の1961(昭和36)年、京極の人々によって設立されたのが、旭町の工場で木製スキーを製造する「ニセコスキー工業株式会社」。ハガスキーの伝統を受け継ぎ、近代設備の元で量産。一時は海外に輸出した時期もありましたが、その後は国内向けが主流となりました。

仁丹食品(京極町)

1960(昭和35)年に京極に工場を建設、ジャガイモを原料とするマッシュポテトの生産を主としていたものの、ほぼ操業中止状態に陥っていた「リーダース食品」(本社東京)の工場を「仁丹食品」が1964(昭和39)年に買収。以来10年余、工場を改造拡張して、大工場とし、アスパラガス、スイートコーン、ジャガイモ、豆類など、季節に応じた製品を製造。地元産業の活性化に大きな功績を残しました。

日時: 2007年10月25日 11:10