文学者

石川啄木 いしかわたくぼく

歌、詩、評論/1886(明治19)年2月20日~1912(明治45)年4月13日。岩手県出身。本名:石川一(はじめ)。歌集に「一握の砂」「悲しき玩具」があります。新生活を開こうと北海道に渡った啄木が、函館から小樽に向かう列車で真夜中の倶知安駅を通ったのは1907(明治40)年9月14日の午前1時過ぎのこと。この時の印象を短歌に詠んで、歌集「一握の砂」に収めました。

林芙美子 はやしふみこ

小説/1903(明治36)年12月31日~1951(昭和26)年6月28日。本名:林フミ子。ベストセラーになった私小説「放浪記」は、あまりにも有名。1934(昭和9)年5月25日に倶知安を訪れ、ニセコの景色の印象を色紙に残して28日に札幌へ。のちに倶知安を舞台にした「七つの燈」「田園日記」などの小説を残しています。ほかの作品として「うず潮」「晩菊」「浮雲」があり、映画化もされています。

海老名礼太 えびなれいた

詩/1906(明治39)年7月4日~1962(昭和37)年5月3日?。美国町生まれ。美国尋常高等小学校卒業後、旭川師範学校に進み、在学中から詩作を開始。文芸部初代委員長を務めました。1953(昭和28)年、倶知安中学校に赴任。「オリオン」「月光」「北海道詩集」「北方の詩集」「蟹の情熱」「瑠璃色の掌」を発行。1931(昭和6)年に創刊した「北方の詩」は順調に発刊を続け、1956(昭和31)年まで倶知安中学校に勤めて、第12号までを倶知安町で発行。狩太町王子小学校校長として転出した後の第13号からを狩太町から発行しました。

沼田流人 ぬまたるじん

小説/1898(明治31)年6月20日~1964(昭和39)年11月19日。岩内郡老古美生まれ。本名:沼田明三。倶知安第三尋常高等小学校(現倶知安小学校)高等科2年の時、マッチ軸木工場で遊んでいて左手を切断。その後、文学の道を目指し、1921(大正10)年、小説「三人の乞食」を発表。1923(大正12)年父が営んでいた木賃宿の近くを通る京極線の敷設工事で働く土工たちの過酷な労働を素材にした「血の呻(うめ)き」、そして1926(大正15)年に「地獄」を発表。この「地獄」を前編、その続編として1928(昭和3)年「監獄部屋―地獄に呻く人々」を発表。この監獄部屋とは土工の飯場のことで、タコ部屋ともいわれていました。

杉沢文月 すぎさわぶんげつ

詩、小説、短歌/1904(明治37)年6月28日~1929(昭和4)年9月4日。静岡県生まれ。本名:杉沢実。1906(明治39)年に両親に伴われて喜茂別村上尻別に移り住み、倶知安新聞の記者として活躍。1922(大正11)年に同人誌「十字架」を創刊(3号目からは「青林檎」に改題、のちに「北海道芸術」と改題)。ほか、同人誌「北海道詩戦」「破る」を発行。1928(昭和3)年、小樽新聞が創立35周年を記念して募集した懸賞小説に「太陽を射る」で3等に入選しました。

有島武郎 ありしまたけお

小説/1878(明治11)年3月4日~1923(大正12)年6月9日。札幌農学校、ハーバード大学などで学び、志賀直哉、武者小路実篤らと出会って、同人誌「白樺」に参加。父から引き継いだ広大な狩太村の有島農場を小作人たちに無償で開放し、当時の社会に大きな影響を与えました。作品に「カインの末裔」「生まれ出づる悩み」「親子」「迷路」「或る女」「星座」、評論「惜しみなく愛は奪ふ」ほか。婦人公論記者で人妻の波多野秋子と恋に落ち、軽井沢の別荘で心中。複数残された遺書のひとつには「愛の前に死がかくまで無力なものだとは此瞬間まで思わなかった」と残されていたといいます。

畔柳二美 くろやなぎふみ

小説、随筆/1921(明治45)年1月14日~1965(昭和40)年1月13日。千歳市生まれ。父の転任に伴い、狩太尋常高等小学校に転校し、狩太村(現ニセコ町)曽我の社宅に移りました。文学に親しんだのは、札幌の伯母の家に下宿しながら通った女学校時代からのこと。この少女時代を素材に「姉妹(きょうだい)」を出版(毎日出版文化賞)。他に、「限りなき困惑」「歳月のかげに」などの作品があります。

鶴田知也 つるたともや

小説/1902(明治35)年2月19日~1988(昭和63)年4月1日。福岡県生まれ。上京し、キリスト教文学を志すも、信教上の疑惑から断念。その後北海道の渡り農夫、馬車曵きなどをしながら全国を渡り歩きます。1936(昭和11)年「コシャマイン記」で芥川賞受賞。1940(昭和15)年、山麓の地で開墾に力を注いだ稲村道三郎の話をもとに書いた「大望」が、1942(昭和17)年刊行の「自然と愛」に収録されました。

大町桂月 おおまちけいげつ

文学者/1869(明治2)年~1925(大正14)年。高知市生まれ。東京帝国大学卒業後本を書き始め、1898(明治31)年に「美文韻文黄菊白菊」を発表。1921(大正10)年10月に北海道各地を探勝して、気のむくままに漢詩を読み、東倶知安村(現京極町)脇方でも漢詩を残しています。1923(大正12)年、博文館が創業36年を記念して発刊した「太陽」の増刊号「日本山水体観」の巻頭で、桂月が載せた「北海道山水の大観」では、北海道の八大景勝の一つとして、羊蹄山を紹介しています。

小林多喜二 こばやしたきじ

小説/1903(明治36)年10月13日~1933(昭和8)年2月20日。秋田県生まれ。4歳の時に小樽に移住。北海道拓殖銀行小樽支店に勤務していた多喜二が1928(昭和3)年、国会解散に伴う衆議院選挙で応援することとなった労農党、山本懸蔵の応援演説の体験をもとに書いた作品に「東倶知安行」があります。この選挙は日本初の普通選挙法によるもので、多喜二は東倶知安で演説。各地の演説会場の盛況にも関わらず結果は惨敗に終わりました。

日時: 2007年10月25日 12:01