- I-1 羊蹄山
- I-2 ニセコ山系
- I-3 湧水
- I-4 尻別川
- I-5 自然生態系
- I-6 温泉盛衰
- I-7 スキー隆盛
- I-8 アウトドアスポーツのメッカ
- I-9 農と食
- I-10 国際リゾート化
- I-11 ホスピタリティ
- II-1 自然環境と生態系
- II-2 スキー場
- II-3 アウトドアスポーツ
- II-4 温泉
- II-5 レク施設
- II-6 体験施設
- II-7 リゾート
- II-8 食と農業
- II-9 農業以外の産業
- II-10 郷土の人物
- II-11 文学
- II-12 文化
- II-13 歴史全般
- II-14 交通
- II-15 町村の概要
- II-16 まつり・イベント
- II-17 観光情報センター
- III-2 参考文献
- III-3 索引
212_文化
アートギャラリー / 廃校跡旧校舎の利活用 / 神社・仏閣 / 記念碑・像 / 郷土芸能、伝承芸能 /
郷土芸能、伝承芸能
そこに暮らす人を時に励まし、勇気づけてきた郷土芸能、伝承芸能。保存会や有志らによって、現在も受け継がれているものが数多くあります。土地を守る神社に奉納する神楽、祝いの席を盛り上げる獅子舞や太鼓…。本州から移り住んだ人々が出身地の伝統を色濃く移しながら、羊蹄の地で受け継がれてきた芸能の中から、代表的なものを紹介します。
[奴(やっこ)]
倶知安赤坂奴(倶知安町)
昭和60年、「倶知安赤坂奴」が倶知安町文化財条例による無形民俗文化財に指定されました。指定された赤坂奴は、江戸時代大名行列の先ぶれを勤めた「奴」たちの「振り」の一形態で、鼻下に“かまひげ”をつけ、長柄、はさみ箱を持った奴14人で編成されます。小樽市で行われていた奴行列が、ニセコ町、蘭越町を経て、昭和8年に倶知安町に伝えられたものです。その当時は、八幡神社祭典の先導を勤めていました。
ニセコ町赤坂奴(ニセコ町)
小樽・住吉神社で、赤坂奴の小頭をしていた陶山増太が、狩太村(現ニセコ町)に移住。青年有志に呼びかけて、1932(昭和7)年の狩太神社の祭りで神輿渡御(みこし とぎょ)の先ぶれ役として奴振りを紹介したのが始まりです。1990(平成2)年にはニセコ町無形民俗文化財に指定。現在、ニセコ町赤坂奴保存会がその伝統芸能を受け継ぎ、8月の狩太神社祭で披露しています。
奴さん(真狩村)
「赤坂奴」の流れをくむものに真狩村の「奴さん」があります。こちらは、1968(昭和43)年、発足。絆天、手甲、脚絆、前掛などの衣装で身を包み、けやり、はさみ箱、熊手、薙刀(なぎなた)、笠を持って、真狩神社祭に参加。町内を練り歩き、祭典に華を添えています。
[神楽(かぐら)]
讃岐瑞穂神楽(蘭越町)
四国香川県(讃岐)から蘭越の中目名原野(現字讃岐)にあった小野農場に入植した移住者たちが、1903(明治36)年、讃岐神社に奉納したのが始まり。不浄を払い、悪魔を退散させる意味を持ち、太鼓、鐘、笛の演奏で、獅子頭(ししがしら)、獅子股の2人が「ひやふや」「とりい」「ししおこし」などの踊りを約20分間舞います。また、獅子には子供2人が誘導役としてからみます。
大南部神楽(蘭越町)
大正初期、青森県の三本木藤島から蘭越の大南部(現豊国)に移った佐々木芳が伝えたのが始まり。太鼓、鐘、笛、謡手、ほら貝、舞人による祝舞、武士舞、道化舞が、豊国神社に奉納されます。
浦安の舞(真狩村)
「紀元二六〇〇」祭が、全国11万の神社で開催された1940(昭和15)年。真狩村で奉納されたのが「浦安の舞」。楽太鼓、締太鼓、手拍子、龍笛、神楽笛、篳篥(ひちりき=しょう)、和琴を使用し、扇舞と鈴舞を奉納します。軽装の十二単姿の舞姫4人と歌姫によるもので、初期は婦人会員数十人が歌いましたが、現在は歌、演奏ともに録音テープ。舞はそれぞれ5分ほどです。
[獅子舞]
下賀老獅子舞(蘭越町)
青森県から蘭越の下賀老(現字相生)に移住した花田長七らが1921(大正10)年、地区の青年の支援を受けて9月15日の祭典で下賀老獅子神楽として奉納したのが始まり。神楽は太平洋戦争中の2年間中断しましたが、1945(昭和20)年に獅子舞として再編成し、現在に至っています。傍(おが)獅子、牝獅子、山持ち、謡、笛、太鼓、天平鐘かせによる舞は、要所に凶事退散やお祝いの舞が盛り込まれています。
[音頭]
やぶ出し木やり音頭(蘭越町)
森林の伐採作業を大がかりに行う造材時に、丸太が集まる土場(どば)で、乱雑に置かれた丸太を整理し、馬車に荷積みをする土場巻き。重い材木や石を運ぶ土場巻きでの作業時に、とび長の音頭=木やりで、多くの人が「ヨーイトコセーノ」や「ヨーイトコショット」のかけ声をかけていました。その作業の様子を舞台芸能「やぶ出し木やり音頭」と名付け、1968(昭和43)年の成人式で披露。同年、やぶ出し木やり音頭保存会が結成されました。
港沖揚げ音頭(蘭越町)
嘉永から昭和初期に蘭越の磯谷海岸に大量に押し寄せていたニシン。大漁期には、船頭のかけ声に合わせて、漁夫たちが船こぎ、網起こし、陸揚げなどを行いながら沖揚げ音頭が浜を湧かせ、ニシンが獲れなくなってからも、漁に従事した人たちによって歌い継がれてきました。この伝統的な労働歌とその様子を後世に伝えるため、1968(昭和43)年、港沖揚げ音頭保存会が結成されました。
[太鼓]
羊蹄太鼓保存会鼓流(倶知安町)
創始者“太鼓のロクさん”こと高田緑郎氏が作曲した太鼓を伝授・継承・指導し、地域文化の発展に寄与することを目的に活動しています。
愛鼓会(ニセコ町)
ニセコ町開基90周年時の記念事業として、役場が桑山真弓氏(故人)へ作曲を依頼しできた曲「ニセコ高原太鼓」を、様々な機会に演奏活動を行っています。「ニセコ高原太鼓」は全体3部構成で、ニセコ町の大自然の雄大な景観と、開拓以来の歴史・そして現在の、産業・文化の振興と、未来に向けて若者達のもつ無限の夢を、和太鼓による勇壮なリズムで表現します。
らんこし鼓友会(蘭越町)
1987(昭和62)年設立。和太鼓の愛好者が技能の習得と親睦を図ることと、郷土芸能に寄与することを目的に組織されました。蘭越地区開拓時に荒々しい自然を切り開いた先人たちの情景をリズムに託し、自然の変化を太鼓で表現しています。曲目=羊蹄太鼓、ニセコ連山太鼓。
昆布渓流太鼓(蘭越町)
1994(平成6)年、昆布小学校に元教員から寄贈された寄付金を、地元に根ざした太鼓の曲として残すことに決定。太鼓を購入するとともに、倶知安町に住む高田緑郎の作曲した「昆布渓流太鼓」を譲り受けました。小学生13人で練習をスタートさせた昆布渓流太鼓は、同校の記念祝賀会、昆布神社祭典、蘭越町芸能文化祭で大好評。これを地域の郷土芸能として育てていこうと、1996(平成8)年、昆布渓流太鼓愛好会を設立。1997(平成9)年には寿都弁慶まつりに出演。町内の各施設でボランティア活動を行っています。演奏曲=昆布渓流太鼓、羊蹄太鼓、ニセコ連山太鼓
太鼓のロクさん
「母の腹の中から太鼓をやっていた」と言うくらい太鼓好きのロクさん(高田緑郎さん)。昭和38年(当時48歳)大自然の嵐と斗う蝦夷富士羊蹄山の雄姿に魅了され、作曲したのが羊蹄太鼓です。その後も、ニセコ連山太鼓、ふきだし太鼓など、数々の名曲を作り上げてきました。昭和51年には、【日本の太鼓】というレコードに、羊蹄太鼓・ニセコ連山太鼓が収録されました。また、小・中・高学校へと足を運び、子供たちに太鼓を教え、毎年数回養護学校・老人ホームにも赴き、みなに太鼓を聞かせて走り回っています。平成9年には、「羊蹄太鼓は未来へ継承すべき郷土芸能である」とのことから、倶知安町無形民俗文化財に指定されました。こうして太鼓のロクさんは、みんなに慕われる北海道の太鼓のパイオニアとなったのです。
[農村歌舞伎]
喜楽座(留寿都村) 校校庭
開拓の初め、四国は愛媛県からの入植者が集って演劇や歌舞伎のまねをし、「かな手本忠臣蔵」などを演じたのがはじまりといわれています。その後、留寿都の知来別にある神社「金比羅」さんの祭りがある度に発表。「喜楽座」という形で継承されてきました。昭和初期には真狩村字見晴(分村前は知来別と同一地域)でも上演。1961(昭和36)年ころまで青年団体活動として行われていました。
[合奏]
アルプホルン合奏団(倶知安町、ニセコ町)
倶知安町で開かれた国体山岳競技などに、合奏で参加。ニセコの山開き、東京有楽町の「夏の雪だるま」でのニセコプロモーションでも、毎年演奏しています。
日時: 2007年10月25日 12:03